フェアプレイ/MYSCON

MYSCON6にて滅・こぉる氏の独演会のようなものを聴いた身として。
http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/qed/p0504a.html#p050405a

「フェアプレイなんてどうでもいいよ。要するに面白ければいいんだ」という一人にまさしく私がいるので、ちょっと真面目に妄想してみた。結局のところ、フェアプレイというのは2つに分類されるようだ。そもそもそれを自覚していないであの場にいた私はなんなんだ。

ひとつは「地の文で嘘をつかない」こと。しかしこれは、他のジャンルの小説だっておんなじだ。下手な嘘は非常に印象を悪くする。ただ、ミステリではつい嘘をかいて読者を煙にまきたくなる。それだけの違いだ。私にとって「フェアプレイ」というのはこっちが中心かと思っていた。

しかしどうやらミステリにおけるフェアプレイというのはhttp://aklo.hp.infoseek.co.jp/books/yougo.htmlなどに示されているように、「作者が読者に示した記述のみで事件の解決を導き出せること」が第一義のようだ。って、そもそも議論の前提が成り立ってなかったのか。

しかしこれでMYSCONでの氏の主張が分かった。某作品は氏の判断では、前者の定義にひっかかるが、しかし氏は解決を導き出せてしまった。ということはこれはフェアプレイなのか? と。ああ、そういうことだったんだなあ、と今知りました、という馬鹿のお話。

でも、こういう定義をきちんと知りもせずに、「読者への挑戦がはさめるもの、はさまっているもの」がフェアプレイだ、とかくちばしっていた記憶がある。我ながらいい加減だ。それから誰だったか、今のキャラクタ先行型ミステリから、新たな形式が生まれるんじゃないか、という台詞があった。それに対して、「だからライトノベル読みになった」と返答した気もする。

まあ、何だ。フェアプレイで面白い小説もあれば、そうでなくて面白い小説もある。結局最初のレポートと同じで、私は「ミステリ読み」でもなく「ライトノベル読み」でもなく、面白ければなんでもいいんだな、というオチになる。

ところで、ミステリに限らず読者にシチュエーションを誤解させる=読者を騙すタイプの小説はたくさんある。SFにだってそういうものがある。ショートショートなんかにも多そうだ。別にミステリだけの特権じゃないんじゃないか? という疑問を持って唐突に終わる。

何、ちょうど徹夜明けの朝だ、この話題もこの時間帯だった、きっと文章はぐだぐだだろう、丁度良い。(7:15)