懐古話

PC6001からPC9801の時代の話はいろんなとこでネタにしたことがある。インターネットが普及したタイミングの関係でわざわざ書く人があまりいなかったので。逆に、DOS/V機以降になるとそういう話が専門のホームページ(死語に近いな)がやたらにあるので個人的なメモすらしていないのでちょっと書いてみたくなった。本当にちょっと。

DOS/V

http://ja.wikipedia.org/wiki/DOS/V

昔のPC9801は日本語フォントを本体ROMに内蔵していて、それを使っていた。そういう形で日本語を扱っていたので、海外のPC、具体的にはIBM-PCを使うことはできなかった。そこで思いついたのが、「じゃあ起動時に日本語フォント読み込んでメモリに置いて使えばいいじゃん」という話。

Windows3.1が発売されるちょっと前に組み立てたと思うのだが、80486 33MhzというCPUで、メモリがまだSIMMだった頃のお話。まだDOS環境+FDとWin3.1環境を行き来して使っていた。この時代にパーツの輸入ついでにDOOMなどの海外PCゲームに触れた記憶が。

スクリーンセーバーがはやったのもこの頃か。フライングトースターとか。まだ私はこの時代には自分のPCを持つことがなく、お下がりの9801UX21のゲームで遊んでいた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/VESA_%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%90%E3%82%B9

当時まだPCIスロットがなく、ISAスロットより高速な処理をするために生まれた規格がVL-BUS。いい加減に言えば「CPUに直結しちゃえば早いじゃん」という野蛮な発想のスロットである。しかし実際早かった。

「まるちめでぃあ」という怪しい単語がブレイクしたのもこのあたりで、CD-ROMはその代表とも言えるハードウェアだった。マイクロソフトエンサイクロペディア(百科事典CD-ROM)とか。

AT互換機

http://ja.wikipedia.org/wiki/PC/AT%E4%BA%92%E6%8F%9B%E6%A9%9F

一旦いまのWindows機と呼ばれるタイプのPCはこの言葉に統一される。Windows95の登場によって飛躍的にPCが普及する。すでにネット上にない「雑文館」が96年に登場し、パソコン通信ではなくインターネット上で面白いだけの駄文を書き散らす(失礼)という「雑文サイト」が登場し、類似サイトも表れる。私もそうだ。

そしてこのタイミングで唯一パーツからメインPCを組み立てた。オンボードSCSI(P2B-S)という当時でもマニアックな構成である。CPUはCeleronテレホーダイだのISDNだのもこの前後となる。ビデオがMillennium G400、ディスプレイがナナオであった。メモリは72pin SIMMかな?

以後はショップブランドだったりDELLだったり、早くなるだけである。20世紀末にWindows2000がまともに動く環境としてDellマシンを買い、2003年にFFXIのためにショップブランドでP4-3.0G+RADEON 9600ベースのシステムを組んでもらった。

まとめ的な何か

……あれ、自分で使ってた/るメインマシンって4台だけなのか。びっくり。パーツ単位の増強はちまちまやっていたからもうちょっと多い印象があった。マザー、メモリ、ビデオ、サウンド、ストレージ、円盤目ディア、ケースという構造は一部がマザーに乗っかった以外は変わらない。あ、LANも昔は別付けだ。最初は10-BASE2だったなあ。

このエントリ書くきっかけが、「どうしようかな、今のPCのビデオカード、GeForceFX5900に変えてみるかな、ああいうそえば今のPCってFFXIベンチ以外やってないじゃん」という話だった。で、実際にHDBENCHとかNBENCHとか動かしてみたんだけど、HDBENCHのグラフィックベンチが現行の1680x1050,32Bitと Celelon + Millenium G400 1024x768,16bitでは数値が変わらないのに笑った。さすがに解像度と色数(!)落としたら大差だけど。そいえば昔は65536色で充分、とかいう話もあったなあ。人間はそれくらいしか認識できないとか云々。